耳(電子書籍の場合は目か?)が痛くなる方も出てくるかもしれませんが、あえてこの辺で申し上げておきます。相場・マーケットに参加していて、下一桁である目先の0.1円や1円にとことんこだわる人。
何故そこまでこだわるのでしょうか?
私の経験上なのですが、この0.1円や1円にこだわる人は、感覚が自分中心である方が非常に多く気持ちに余裕が無い。相場・マーケットに参加しておきながら、とにかく自分中心。我が強いと言いますか、相場・マーケットに対して自己中心的。無視意識の中ではあると思うのですが、どうしても自分の意見を押し付けたいようで、「何故、思ったようにならないのだ?」となりがち。
極端かもしれませんが、「参加してやっている」意識が強く、「参加させてもらっている」という意識が非常に薄い。利益があがっているのならば良いのですが、「思ったようにならないのだ?」となっている時点で曲がっている状態なのですから、自我を押し通すのではなく、相場・マーケットに寄り添う意識が必要なのではないでしょうか?
もちろんどのような意識で参加しようとも自由です。ある視点から見れば食って掛かるような態度が良いという部分もあるのかもしれませんが、私の知る限り相場・マーケットに対して自己中心的な人は、撤退や退場を余儀なくされています。
もし、利益を獲りに行くことが目的で参加しているのならば、残念なことではありますが、相場・マーケットに自分の我は不必要。不必要どころか邪魔だと言えるのかもしれません。しかし、自己否定をしろと言うことではありません。あくまでも相場・マーケットに参加し利益を上げるのならば、自分という存在を薄くし、相場・マーケットに寄り添いながら合わせる意識が必要であると言うことです。
例えば、こんな人を思い浮かべて下さい。あなたが主催したホームパーティーに参加してきた人物。空気を読みながら場を盛り上げる話を提供してくれる人と、なんでもかんでも自分の話をしたがる人。どちらがありがたいですか?私ならば自分の話をしたがる人を次から呼びたくないです。
相場・マーケットは私達が主役ではありません。場を盛り上げるだけの存在です。主役はあくまでも値動きであって、参加させていただいているだけ。ならば、無理矢理自分の話や考えを押し付けるのではなく、空気を読みながら場を盛り上げて主催者に好かれた方がいいですよね?最後には利益という手土産を持たせてくれるのですから。
0.1円や1円に必要以上にこだわらない方が、いきり立った雰囲気をかもし出しませんし優雅に振る舞えます。こだわる明確な理由があるのならば良いのですが、たいていの場合は、自分の利益や損金に対しての話であり、自分勝手で自分中心なことが理由でしょう。そんな小さなことにこだわるのならば、全体を眺めることに時間を割いた方が合理的なのではないでしょうか?