相場・マーケットは、仕掛けよりも仕切り

 

突然ですが、小学生のときの遠足。楽しかった遠足から小学校の校庭に帰ってきて最後に校長先生からの挨拶が行われるのが通例。
そこで必ずと言ってもよいほど校長先生が最後の挨拶で言っていたのが「遠足は家に着くまでが遠足です」という言葉。
家路につく途中で何かあったのでは、せっかくの楽しかった遠足も台無し。先生方も生徒全員が無事に家に帰ったと知るまでは、気が気ではなかったことでしょう。

では、相場はどうか?相場も仕掛けから手仕舞いまでが一連の流れなのです。仕掛けは重要視されますが、手仕舞いに関しては、ないがしろにされがち。
仕掛けるときに大きな夢を持っているのですが、その夢が達成されたときには浮かれた気分で手仕舞いし、道半ばで夢を諦めたときには適当な結末に……この一連の流れが相場を引退するまで続くわけです。

良い・悪いで片付けられるものでもないのでしょうが、手仕舞い方には「良い手仕舞い方」と「悪い手仕舞い方」とがあると思っています。
簡単に良い・悪いで手仕舞い方を分けたときの決め手は「次に繋がる手仕舞いかどうか?」ということになるのでしょう。

今回の取引で相場・マーケットから引退をするのならば、どんな手仕舞い方でも問題ないのでしょうが、次回もポジションを取り続けるということならば、「次に繋がる手仕舞い方」と言うことが大切になってくること思うのです。

これは資金的にも精神的にもということになるので、まずは資金的に次に繋がるということから行きますが、利喰いならば資金的に問題無いと思われます。「利喰い千人力」という格言があるくらいですから、利喰いをして相場に負けた人を私は知りません。理論的にも資金的に利喰いをして負けるというのは不可能なことでしょうから。

資金的に問題となるのは損切りのときになるのでしょう。何処かの国王並みに投資資金があなたにあるのならば別かも知れませんが、たいていの場合は、投資資金というものが有限であり、資金が尽きたときには強制退場をさせられることになります。
相場・マーケットに参加するにあたり、損切りは一連の流れの中で当たり前のことではあるのですが、損切りは誰だって嫌なモノ。嫌だからこそ、損切りの仕方ひとつで次に繋がるかどうかが変わってくると思うのです。

資金的な観点から申し上げれば「肉を切らせて骨を断つ」のが相場・マーケット。擦り傷・切り傷などはいくら喰らっても資金的にはあまり問題はないのです。この辺は1勝9敗でも相場・マーケットは勝てる世界である所以でもあるのですが、下手な負け方・次に繋がらない負け方をしてしまうとアウトとなってしまうのです。ようは、9勝1敗で負けて強制退場をさせられてしまうのが相場・マーケットであるということです。

思惑

損切りは誰だって嫌なモノで、スタート時点では利喰いのイメージを抱きながら仕掛けると思うのですが、利喰いのイメージばかりではなく、損切りのイメージも描きながら仕掛けたならば、不幸にも負けたときに上手い負け方ができると思われます。
「損切り上手は、相場上手」という格言があるように、資金的には損切りの上手い下手がモノを言うことになります。

先程から「資金的には」という言葉を連続してしておりますので、あなたも意識されていると思いますが、あくまでも「資金的には」ということなのです。人間は感情の動物です。これは否定のしようがないと思うのでこのまま進みますが、感情が先に出てしまうと言っても過言ではない人間がやっているのが相場・マーケット。あなたも人間であり、私も人間。その人間が多数集まって市場を形成しているのですから、感情を無視して相場・マーケットに参加することは難しいのでしょう。

では、感情の部分である精神的にはどうなのか?ということです。精神的にも「良い手仕舞い方」と「悪い手仕舞い方」はあると思いますが、精神的に良い手仕舞い方となれば、天底で利喰いを入れたときには良い手仕舞い方となって、それ以外は「悪い手仕舞い方」となるのかもしれません。
天底で手仕舞えたときには、得も言われぬ快楽が押し寄せてきますし、自分が手仕舞ってからまだ先があったときには、利喰いをしているにもかかわらず、損をした気分になるのが人間。
人間は感情の動物であると同時に欲の塊の動物でもあるわけです。
欲を言ったらキリがありませんが、1円でも多く利益を得たいのが人間の性だというモノ。そもそも欲がなければ相場・マーケットに参加などしてはいないでしょうから。

しかし、欲の皮だけをツッパっても、良いことなどあまりなく、欲で視界が狭く悪くなってしまうこともしばしば。どちらかと言えば、問題は利喰いよりも損切りなのかもしれません。利喰いをないがしろにして良いということではありません。先程述べたように、利喰いをしたあとに、思惑の方向にドンドン進んでしまうことが多々あるのも相場。「利喰いは小さく、損切り大きく」が一般な投資家の典型的な行動パターン。ですから利喰いは肚を据え、逆に動いたと判断できるまではとことん頑張らなければならないということになります。

一方の損切りは、利益をあげるために相場・マーケットに参加しているのですから、損をするイメージなど毛頭ないわけで、損切りは精神的に大打撃を受けてしまうことになります。

ところで、損切りという行為は避けて通れるものなのか?ということを考えてみたいと思います。理論上は可能です。理論上可能なことは現実でもなし得ることは可能なことなのでしょうか?
私は損切りを避けて通れないモノだと思っております。思考は人それぞれですから、損切りは避けて通れるということならばそれで構いませんけど……
個人的には、損切りをしない方法を追い求める時間が有るのならば、少しでも損切りの金額を減らす確率をあげた方が合理的なのでは?と思うわけです。
いやいややる損切りも、喜んでやる損切りも同じ損切りです。同じ損切りならば喜んで損切りをした方が、精神衛生上有利になり、次に繋がる手仕舞いになるのではないでしょうか?

裏表

「喜んで損切りをするなど馬鹿だ!」となるかもしれません。私も喜んで損切りをするのはある意味では馬鹿だと思いますが、みんなができないことですから、挑戦する価値はあるのではないでしょうか?人の行く裏に道あり花の山という奴です。

どちらにしても、損切りは避けては通れません(と思っています)。避けては通れない損切りならば、上手に付き合うことが大切であり、上手に付き合うのならば好きなった方が有利だと思うのです。
「どうすれば損切りなんて好きになれるの?」という疑問が湧くかも知れません。それが当然の反応です。しかし、損切りをすればしただけ損切りが上手くなり、相場上手になって行くのだと思って進めば良いのでは?損切り上手は相場上手だという格言を先人が残してくれているのですから。しかも、人間は感情の動物だということも。どうせなら、上手い損切りを目指しましょう!逆もまた真なりです。
ここまで行けると、損切りした後の相場展開をイメージできます。損切りをしたことによって、どんなメリットをあなたにもたらすのか?この辺があなたなりに見えてくるはずです。

「損切りばかりしていては、資金が持たない」という声が聞こえてきそうですが、損切りだけでは破綻して当然です。いくら損切りを好きになり損切り上手となったところで、損切りばかりを繰り返していたのでは、資金がいくらあっても足りません。一般投資家ならば資金は有限なのですから、損切りは最小限に止めておきたいものです。ここで出てくるのが資金管理です。投資資金の範囲内で何回失敗したら破綻するのか?逆算をすれば良いわけです。
あなたの的中率はどのくらいでしょうか?50%を常に切っている的中率ならばマズイでしょうが、たぶん、あなたの的中率は悪くとも50%超えだと思います。これまでは、損切り下手だったために、いくら的中率を上げても、回収率が悪くて最終的に利益が出てこない状態だったのでしょうが、資金的観点からも精神的観点からしても、損切りが上手くなれば、的中率は高いのですから、回収率を意識し向上させられたならば、自然と利益が出てくることになりませんか?

的中率よりも回収率を求めるのが、相場・マーケットなのでしょうから。

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