けせらせらFP事務所

問題は解決されるために生まれてくる!

稼ぎも学歴も三流の親が子ども2人を都立高校から国公立大学へ進ませた方法

子どもの邪魔をしない

子どもの邪魔をしない

ぶっちゃけた話、「親はなくとも子は育つ」ということわざがあるように、親は何もしなくても子どもは頭がいいですから育ってくれます
ただ、これには一定の条件があると考えています

条件のひとつに「子どもの邪魔をしない」ということが挙げられるかと思っています
親ができることなど限られていますが、子どもが勝手に行動をすると親はいろいろな理由をつけて、怒ったり怒鳴ったり叱ったりと余計なことをします
子どもの邪魔しかしません

「邪魔ではなく教育だ!」と言われてしまうかもしれませんが、果たして教育なんでしょうか?
自分の感情に任せて怒ったり怒鳴ったり叱ったりしちゃいませんか?

大人だって立場が上だと考えられる人間に怒鳴られれば萎縮します
同等以下だと思える人間から怒鳴られると反発をします
たぶん、自然の行動だと思いますが、これが育てられているということを無意識下で感じ取っている子どもが親に怒られたり怒鳴られたり叱られたりしたら、がんじがらめになるだけ
子どもの発想に対して邪魔しかしちゃいないと考えています

よく「常識だ!」という方がいらっしゃいますが、それはその方にとっての常識であって、世の中全てに通じることなんでしょうか?
もっときつく言えば、その方が「常識」として教え込まれただけであって、それが今の時代にあっているのか?正解なのか?そういったことを無視しての発言ですから、無知の思い込みの発言なのかもしれません

もちろん、思うことは本人の勝手だし自由ですが、それを人に「常識」として押し付けるというのはどういうことなんでしょう?
しかも子どもに向かってそんなことを教え込んで「教育だ」といういう精神構造が可哀想な感じに映ります

話が若干ズレてきましたので戻りますが、子どもの邪魔をしない
非常に大切なことだと考えて子どもには接してきました

しかし、「邪魔をしない」のと「放置」とは違います
子どもを放置するなんて鬼のやること
人間だという自覚があれば「放置をせずに邪魔をしない方法」を考えてみてはどうでしょう?

なんでも人に聞けばいいと思っている方って多いと思いませんか?
聞けば解決する場合が多いですが、同じミスは何度でも繰り返します
それは考えないからだと思うんです
考えて結論を導き出さないから同じミスを何度も繰り返す
だから少しでも考えてみると良いと思います

と言っても、これは手口を明かしているところですから、隠す必要などなし
少し考えてから先に進んでもらえるといいと思いますが、それはここまでに何度も出てきていますが「一緒にやる」それだけです

ここまで「勉強を一緒にやる」ということを何度も繰り返してきました
一緒にやれば本当に子どもが勉強をするようになるのか?
そんな疑問を持たれる方がいらっしゃるかもしれませんが、試してみましたか?
試してから判断はしてみましょう

例えば、子どもが変なメイクをしだしたとします
同じメイクを自分にして子どもに見せたら、子どもはどんな反応を見せるでしょうか?

自分がヤッていることを自分の親がヤッていたら他人からどんな目で映っているのか?を冷静に見つめられませんかね?
自分が良いと思っていたことも、他人がヤることによって客観的な判断が出来て、恥ずかしいことなのか?突き進んで良いことなのか?分かるというものではないでしょうか?

強制をせずに一緒にヤる
偉そうに立ち振る舞わない
親なんて偉くないと思いますよ
エラいのは成長をしている子ども
その子どもの邪魔をしないことが、親としての努めなのかもしれません

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