けせらせらFP事務所

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徒然日記

「差別」「蔑視」を考えるのならば

「差別」「蔑視」を考えるのならば

東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗・元内閣総理大臣の発言が大きな話題となっております
マスコミにとってはありがたい話題なんでしょう

そもそも「差別」とか「蔑視」とかの概念がない世代にとっては、東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗・元内閣総理大臣の発言が違和感しか無いだろうし、こういう人がトップに座っているという現実を受け止めるだけなんでしょう

「差別」だとか「蔑視」だとかという概念がある方々は、そういう中で育ってきたということで、「差別」や「蔑視」が当たり前
「差別」や「蔑視」というモノの概念が違った意味で、やはりない世代なんでしょう

「差別」「蔑視」の概念があるのが当たり前の世代に、「差別はいけない」と言ったところで、「何でイケないの?」となるだけ
当たり前のことが当たり前でなくなる感覚なのですから、当然反応なのでしょう

例えば、共産主義国に民主主義を説いたところで話が通じないし、独裁国家と対話をしても成り立たないことと一緒
良いとか悪いとかではなく、育ってきた環境が違うのだから仕方がないことなのだと思われます

自分が他人にヤラれたら嫌なことはしない
幼稚園でも習うようなことを実行できれば問題ないような気もしますが、「差別」や「蔑視」をされたことが無い方にとっては、他人が嫌だと思っていることすら分からないわけで、これも責めることなど出来ない話だと考えています

他人を感情的に責めたり批判をしたところで、何の進展もなく他人を責めて自己満足するだけの話になり、「差別」や「蔑視」を仕返しているだけの状況に他ならないのでしょう

個人的には世の中から「差別」や「蔑視」が無くなるとは思えません
ですが、これも生まれ育った環境に刷り込まれたものであると思っています
このような人間が人の前に出て何かをすれば、おかしな方向に行くのは目に見えていること
自ら自粛をしないとならないんだと思う次第です

もちろん、後天的に「差別」や「蔑視」を口にするのはもちろん、思ったりすること自体がよろしくないと思い込めるのならば別なのでしょうが、相当な訓練が必要だと思っています

たぶんですが、東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗・元内閣総理大臣の首を獲ったところで、あと20~30年経たないとこういう思考の入れ替わりは起きないのでは?と思っています

気持ち的には平等で公正な差別のない世界が良いと願っていますが、それでも世の中はいまれたときから差別で成り立っていると思っているのですから、個人的には最悪です

そして、「差別」や「蔑視」を問題視するのならば、そういう発言をしてしまう世代の方々を受け入れるだけの寛容性が必要なのではないかな?とも思ってはいます
否定や批判だけでは、良いことなど何も生まれやしないでしょうから
もちろん、否定や批判で世の中が公平で平等になり差別がなくなると言う事でしたら問題はないのでしょうけれどもね

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