無駄遣いをやめたいと言いながら無駄遣いをしてしまう。何故、無駄遣いをしてしまうのかと言えば、後悔をするから無駄遣いになるわけです。
本人以外、他人から見た場合に、どんなに無駄遣いであっても、本人が無駄遣いではないと思っていれば、それは完全に消費であり、もっと良い表現をすれば、自分自身への明日への活力なのかもしれません。
本人が無駄だと思っているモノだけが無駄であり、無駄だと思っていないモノは無駄ではないのです。
これはちょっと極端かもしれませんが、個人的に洋服は着ている分と洗濯している分、そして、仕舞ってある分の3着もあれば十分だろうと思っています。それ以上は基本的に無駄(笑)
身体が一つしかないのに、たくさん持っていてもねぇという感じです。
予備に1~2着とも思いますが、着なければただ場所を占領しているだけとなり、無駄の極致。
しかし、おしゃれな方はたくさん洋服を持っていらっしゃる。1回も着用せずにシーズンが終了することもあるくらいに持っていらっしゃる方もいる。洋服が好きであり、それ以上に、洋服がたくさんあることに幸せを感じているのならば、それはそれでいいと思っています。
毎月毎月新しい洋服を購入するために頑張って働いていると言うことならば、やめる必要もないでしょうし、他人に止める権利などありません。
しかし、こういう状態で家計や貯蓄のご相談に来られたときには、目につく数字にはなります。
毎月の洋服購入代金が突出していれば、嫌でも目に止まります。そこで「この洋服代というのは?」という質問をしてしまうわけです。
「ストレス発散の唯一の手段ですから、この洋服の購入はやめられません」となれば、他の分野からお金を捻出する作業になるわけです。
そして、どんなに頑張っても洋服代に手を付けなければならないとなったときには、ご本人の選択になるわけです。
家計の見直しや貯蓄を諦めるか、洋服の購入を減らすか諦めるか……
何処に重点を置くのか?と言うことです。貯蓄をしたい場合だと、目標額を下げるか?若しくは期間を延長して考えるか?収入が変わらなければ、こういう作業が必要になってくるのでしょう。
そして、最後の最後まで手を付けずにいた洋服の購入代金を減らすことまで考える。
洋服の購入は絶対であり、三度の食事を二度に減らしても洋服を購入するのだ!という強い意志があれば、それを尊重せざるを得ません。
「洋服なんて3着もあれば十分でしょ?」という人間からすれば、洋服のために三度の飯を二度に減らす行為など信じられませんが、価値観の違いですから否定などできやしません。
中には凄い方もいらっしゃって、「何処にもしわ寄せをせず、しかも洋服代は現状維持で貯蓄ができるように考えてくれ」と真剣にそして遠回しに「打ち出の小槌で金を出せ」とおっしゃる方もいますから大変(笑)。
入ってくるものが一定ならば、出て行くモノで調整せざるを得ませんが、出て行くモノで我慢はしたくないから、なんとかしろと言われても、「貯蓄を諦めれば簡単ですから」としか言いようがないわけです。
何かを手に入れようとすれば、何かを手放す必要があるのかもしれません。なんでもかんでも欲しい欲しいというのならば、それを手に入れるだけの収入を手にすれば済む話です。
自分に与えられた器の中で、自分の好きなように調整をするのがライフプランであって、なんでもかんでも言えばなんとかなるということではないのです。
人生、我慢も大切だってことです。バランスを崩して身分不相応なことをしていると、何処かで歪みが修正に動き出し、大変なことになりますよ。