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WEB記事 徒然日記

差別は永遠?言い回しひとつ?

差別は永遠?言い回しひとつ?

 

差別というのは、良いことではないのでしょうが、差別があるから世の中が成り立っている部分があり、差別という単語ひとつ取っても、受け取り側次第でどうにでも変化してきますから、非常に難しい話です。

いま流行?の「◯◯ハラスメント」と同じ部分があるのでしょう。受け取り側次第でどうにでも変わるし、同じことをしたり、同じ発言をしても、ある人は差別とは受け取られずとも、違う人は差別だと非難される場合もある。

気持ちとしては、差別などない方がいいと思いますが、なくならないのがこの世の中。なくならないということを認識しておく必要もあるのでしょう。

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できる限り他人を不快にする行為や発言は避けたいと思っています。思ってはいますが、不快にさせてしまうことは避けられません。受け取り側次第で変わる場合もありますし、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いではありませんが、私のすべてを嫌う人も世の中には存在するのでしょうから。

しかし、明らかに売り言葉に買い言葉的な、直接的な差別用語や差別行為は避けたい。他人を不快にさせ傷つけるということはもちろんですが、お洒落ではないですから。

優雅

華麗とまでは言わなくとも、直接的な攻撃や口撃を避けるだけで、お洒落にはなると考えております。
表現方法ひとつで余裕のある立ち振舞には映るでしょうし、トンチの効いた言い回しとなれば知性すら感じさせます。
たとえ同じことを言っているにしても、まるで違うわけです。

ひと言で言い切ってしまえばそれで済むことであっても、そのひと言が相手を傷つけ敵を増やし、自分を安く見られてしまうことになりかねないのです。
情けは人の為ならずという故事成語がありますが、差別も自分が安く見られないようにするためにというくらいの、余裕ある態度を一人ひとりが気にしていれば、今よりも減るのではないでしょうか?

差別は今後もあり続けるのでしょうが、ちょっとした気遣いのできる心の余裕が自分を優雅にそして華麗に映し出してくれるのでしょうから。

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