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徒然日記

小池都知事vs石原元都知事 非合理的であっても、トコトンやりあうべき理由

小池都知事vs石原元都知事 非合理的であっても、トコトンやりあうべき理由

小池都知事vs石原元都知事のバトルが続いているようですが、これは永遠にミゾが埋まらない構図になっているようです。
どちらが正しくて、どちらが間違っているということでもなく、立ち位置によって正義も違ってくるのでしょう。

小池都知事の豊洲市場開場延期措置は、都民に安心と安全を提供できなければしないと言う判断は、非常に正しいということになると思われます。
科学的な数値を元に「安全だ」と言っても、「安心」は付いてこないでしょうから、豊洲市場を開場したけれども……という状態になりかねません。
都民の食に対して、安全と安心を提供できるまで、資金を垂れ流しにしても、原因追求をし犯人探しをして、二度とこういう問題が起きないように、言葉は悪いかもしれませんが、血祭りにあげることをしようとしているのかもしれません。
なぁなぁでこれまで済ませていたモノを徹底的に追求することにより、今後こういった問題が起きなければ、現在の資金の垂れ流し状態は安いのかもしれませんから。

一方で石原元都知事の言い分も間違ってはいないし、正しいことを言っていると思います。
過去のことと現在の状況を一緒にせず、都民のために豊洲市場を開場するのか?それともしないのか?無駄な資金を垂れ流している事自体がおかしな話であり、税金の無駄遣いである。
犯人探しでもなんでも、過去のことは現在の状況を片付けてから、時間を掛けて吟味すれば良いわけで、イタズラに時間の引き延ばしをしているのは愚策だというような言い分。
おっしゃる通りなのです。犯人を探し出して血祭りにあげても、お金が返ってくるわけでもなく、ましてや時間が戻ってくれるわけでもない。ならば、ここから先に一番有効な選択肢を選択するべきだろうと思います。

非常に合理的な言い分に思える石原元都知事の見解ではありますが、人間は合理的にだけ行動ができないと言うことを分かっていない部分があるのかもしれません。
失った信用を回復するためには、非常に多くの時間と苦労が伴うものであり、豊洲市場には既に都民の信用はないでしょう。
そして、合理的に見える「過去と未来を切り離す手法」は、過去に都民の目を向けさせない姑息な手法でもあるわけです。

豊洲市場をオープンし、数年かけて軌道に乗ったと仮定しましょう。そのときに過去をほじくり返して、徹底的に原因の追求をしますでしょうか?
「豊洲が機能したんだから、もういいんじゃない?」
「まだ、そんなこと言ってんの?ほじくり返しても、何も戻ってこないよ」
と、なりませんか?
マスコミが今の報道のように大騒ぎをすれば、世論も目を向けるのでしょうが、視聴率や販売部数に結びつくかどうか分からないようなモノをほじくり返すよりも、目先の事件を面白おかしく流したほうが、会社の利益になるでしょうから、ほじくり返すことは現在のようにはしないでしょう。

そして、歴史は形を変えて繰り返し、同じような問題は後世にて繰り返される。

非合理的ではあるとは思いますし、両者の言い分は正しいと思いますが、個人的には今の時間および資金を無駄にしても、黒歴史を繰り返さないために、トコトンやっていかないとならないと思っています。

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