けせらせらFP事務所

問題は解決されるために生まれてくる!

稼ぎも学歴も三流の親が子ども2人を都立高校から国公立大学へ進ませた方法

努力は報われないから努力する

努力は報われないから努力する

「努力は報われる」
などという戯言的なありがたい言葉がありますが
努力すればすべてが報われるのならば
誰も苦労などしないって話です

努力をすれば、努力をした分だけ
何かの役に立つことがあるというだけの話であって
夢や目標に向かってしている努力が
その夢や目標達成を成し遂げるものかどうかは別の話

なので、受験勉強をしたところで
すべての方が第一志望校へ入学できるかどうかは別
受け入れる方だって定員があるわけだし
ふるいにかけられてしまうのが受験だってこと

ですが、努力をどれだけしたのか?
と言うことは後々の何処かで役にたって来ると思われます
自分で気が付かなくとも周りが評価しているという部分もありますし

と、言うことで、子どもたちには努力をしてもらって
希望する学校に進んで貰いたいと思うのが親心という事でしょう

ここまで何回かの配信で
「子どもに希望する学校へ進学してもらう方法」的なことを
お話しして参りましたが
私が言っていたことをヤッたところで
100%希望する学校へ入学できるということではありません
あくまでも私はこうやって子どもたちに希望する学校に入ってもらいましたというご紹介です

で、何もこれは押し付けることもなく
誰にも言っていなかったのですが
子どもの話になったときに
子どもたちが国公立の大学に行ったということを話したことがあり
その時に「どうやって入れたの?」とか
「どんな勉強をさせたの?」とか
「どんな塾に通わせたの?」とか
色々と聞かれたので
その時にお話しをしたことを配信したまでです

中には希望した学校に入学できなかったという報告を頂いたこともありました
しかし、その報告を受ける前から
「多分無理だろうな」という感じを私が受け取った方々は
殆どの方が無理だったようです

「子どものことなど見ずになんでそんなことがわかるんだ?」
と、なると思います
もちろん、私は霊感があったり占いの達人であるということではなく
変なツボを買わされたり、お祈りを極めているわけでもありません

過去に何度も申し上げていること
それだけのことから受け取れる印象が
「あっ、この人は無理かも?」
と、受け取れるわけです

「子どもの勉強を見てやっている」
「自分の時間を犠牲にしている」
「子どもに勉強をさせている」
こんな感じの言葉が会話から受け取れると
無理だろうなぁと思うわけです

子どもにとって見れば
「勉強なんて見てもらいたくないし」となるし
「わざわざ時間を犠牲にして恩を売ること無いよ」ともなります
そもそも「勉強をさせられている」という感覚では勉強などしたくないし
好きになることなんてほぼほぼ無理

子どもに勉強好きになってもらって
一生に勉強をしてもらう
親が好きでやっていて、それに子どもに付き合ってもらっている
一緒に楽しみながらゲームの攻略のように勉強を楽しんでいる
こんな感覚がないと到底無理な話だと思っています

自分が学生のときに親に
「勉強しろ」と言われれば「うるせぇ」となったし
恩着せがましく言われたら、「頼んじゃいない」となったもんです
自分が親にやられたことを子どもにやっても同じような結果を生むだけ

自分の過程を見れば
その先が見えてくるようなお話しとなります

受験ってのは他人と競うわけですから
自分だけの戦いではないのでしょうが
自分に勝てなければ他人に競り勝つことなどまずまず不可能

自分に甘いのが人間の性でしょうから
その辺りのことに関して
「自分の脳を騙す」ようにしないと
いい結果を得られるだけの努力をすることは難しいかと

そして、それを自分の子どもたちに達成してもらうとなれば
こちらが相当な努力をしないと
子どもは親を見ていますから
あっさりと見破られてしまうこととなるのでしょう

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