けせらせらFP事務所

問題は解決されるために生まれてくる!

稼ぎも学歴も三流の親が子ども2人を都立高校から国公立大学へ進ませた方法

コミュニケーションを深める

コミュニケーションを深める

自分が受験生だった頃を思い起こせば、「勉強しろ」だとか「勉強やっているのか?」とかを聞かれることが本当に嫌だったわけで、なるべく子どもたちには「勉強をしろ」だとか「勉強やってる?」とかという言葉の投げかけはしないようにしていた次第

自分がヤラれて嫌なことを他人にすれば、他人だって嫌な思いをするはず
自分の子どもならば、尚更そんな感覚が強くなるんじゃないかと思ったわけ

そして、「宿題やった?」とかっていう言葉も投げかけない
同じ意味合いですから、嫌なワードのひとつ

「どうやって勉強をさせるんだ?」ってなりますよね?
当然だと思います
でも、別に勉強をしてもらいたいけど、させるわけには行かない
自ら進んで勉強をしてもらわないと、自分の身につかない

社会人になればもっと痛感しますが、ヤラされ仕事と好きな仕事では、身の入り方が違うし、覚えようとするパワーも違うし、ヤラされ仕事は時間の浪費というか、喰うために仕方無しにヤッている感覚になって効率も悪いし、ろくな結果を生みやしない
しかし、好きな仕事は昼飯を食べることを忘れても没頭できる
子どもにとっての勉強だって、身につかなきゃ時間の無駄
宿題を義務でやってヤッたそばから忘れるという悪循環に

予習・復習の塾にでも行って貰って、そこで宿題を見て貰えればありがたい話ですが、塾に預ける子どもは居ても金は無し
あるのは、「都立高校から国公立大学へ入学」という自分の勝手な目標だけ
子どもためと言いながら、自分の欲求を満たしているだけなのかも知れませんが、多分ですが、子どものためになるだろうと信じていました

こんなことをやり始めたのも、長男が中学生になってからで、小学生の時には一緒に遊んでいました
しかし、中学生にもなると、親のことなどかまっちゃくれない
特に父親の存在など鬱陶しいだけ
「亭主元気で留守が良い」というCMがありましたが、子どもにとっては「親父元気で留守が良い」ってなもんだと思っていました
子どもたちに確認をとったわけではありませんが、自分のイメージはそんな感じ

長男がかまっちゃくれない淋しさと、「都立高校から国公立大学へ入学」の考えと相まって、『息子に勉強を教えてもらう』という行為に出ました
理由なんてなんでも良いんです
最初は英語で会話をするとか、Be動詞がどうだとか、連立方程式を教えてくれだとか、ネットに問題が転がっていて解けないから教えてくれと頼んだだけ

最初は嫌々の長男でしたが、父親の先生となって教える優越感でもあったのでしょうか?
快く教えてくれるようになりました

他愛もない話に時間を費やし、勉強を身近に感じてもらう
他人に勉強を教えるということは、自分が理解していなければ出来ないことですから、私の知らないところで息子も勉強していたと思います
それまで学校の授業を適当に聞き流していたものが、真剣に聞くようになったとかそれだけかも知れませんが、これは大きな進歩
勉強が自分の身近になれば、当然のように吸収する度合いもアップしてくるということ

こんなやり取りを見ていた娘は、まだ小学生
父親とお兄ちゃんが勉強をしているとなれば、一緒に勉強をしてしまうのが不思議なところ
娘のドリルを一緒に解いたり、クイズ形式で問題の解きッコをしたりと遊び半分で勉強に馴染んでもらいましたもんです

「そんな時間あるわけないじゃないか!!」
こんな声が聞こえてきそうです
確かに大変です
一緒に中学生の問題を解いたり、娘のドリルをヤッたりなんて、脳みそだって退化している状態なのにフル稼働させるのですから、耳から煙が出てきても不思議ではありませんでした

「時間が無ければ作ればいい」
簡単なことです
無ければ作ればいいんです
ボケーッとTVを見ている時間があれば、そんなモノは削れるし、酒を飲んでグダを巻いている時間があれば、一緒に数学の問題を解く
自分の脳の退化も防げるだろうし、健康にもいい
やる気の問題だけだと思います

「自分ができたからと言って、すべての人間ができると思うな!」
確かにその通りです
しかし、そんなことをこれっぽっちも思っちゃいません
自分のやり方で時間を作り、一緒に遊びながら勉強に触れる
最初の一歩なのですから、その程度でいいのではないでしょうか?

ただ、目的がはっきりとしていますから、個人的には苦にならなかったし、毎日毎日ずっとやるわけではなく、これだって自分のペース子どものペースに合わせて臨機応変に対応をしていけばいいと考えています

まずは子どもとのコミュニケーション
これを上手く取らないことには、押し売りと一緒で嫌な思いを子どもにさせてしまうだけ
そして、感覚的に「ヤッてやっている」的なモノを持っているうちは上手く行かないと思います
「勉強を見てヤッている」だとか「時間を作ってヤッている」だとか、そんな邪な気持ちがあれば、子どもはすぐに見抜いてしまうことでしょう

子どもに勉強を教えてもらって、コミュニケーションを深める
子どもに遊んでもらえる時間なんて一生のうちのほんの僅か
子どもが一緒に何かをヤッてくれたならば、ありがたいことですよ

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