年末年始は親にとっては出費がかさみ嫌な季節。反面、子どもたちにとってはワクワクの年末年始!
物凄いギャップで、他人事として眺めていると非常に面白いですが、自分のことになるとシャレにならない(笑)
出費を押さえたい親と1円でも多く貰いたい子どもではギャップが生まれて当然。
親と子どもという目線で見るから、「全く今どきの子供は……」となりますが、会社と雇用者として考えてみたらどう?
1円でも出費を抑えたい経営者側と1円でも多く貰いたい雇用される側。
ボーナスでもめたり、ベースアップでもめたりと当たり前のことですよね?
価値観が違うのだから、希望金額の違いがでてきて当然。
価値観だけではなく、立ち位置も違うし、見ている景色も違うのだから、希望額が開くだけ開いて当然。
ここに「金銭教育」なんて言葉を当てはめてしまうのは、違和感を感じるのは私だけなのでしょうか?
供給者と消費者という立場でも一緒。
1円でも高く売ろうとする供給者と1円でも安く購入しようとする消費者。
お互いに納得できる地点で折り合うのが通常。
ここに「金銭教育」という言葉が当てはまるの?
仮に当てはまるのならば、金銭教育を受けていない人が親となり消費者となれば、何もわからないのだから誰とも折り合いがつかないのは当然。
分からないことを人に伝えることはできず、子どもにだって教育などできやしない。
ようは、子どもに金銭教育ができないのだから、金銭教育と言うことが成り立つはずないってこと。
子どもへの金銭教育の問題ではないってことです。
大人でも全く足りていないと言うことです。
義務教育に金銭教育をという話しは以前から出ていますが、学校の先生が金銭教育をできるのでしょうか?
しかも、金銭という価値は人それぞれ違うモノ。
あなたにとっての1万円と私にとっての1万円の価値観は全く違うのです。
それをどうやって教育するというのでしょうか?
また、画一的に教育をしろってことでしょうかね?
価値観が全く違うのに、画一的にやってしまえば、それは間違った教育になりはしませんかね?
で、金銭教育って言うのは難しいわけで、正解とか不正解とかないと思うのです。
そして、金銭教育を学びたい人は、自分にあった金銭教育を既に学んでいるでしょうし、学ばなくても幸せに暮らせるひとは暮らしているのです。
そもそもの話として、日本人の感覚として、金銭に関することを学ぶということは、あまり良い感じで受け取られない。
銭金の話をすると「意地汚い」とか「卑しい」とか言われますから、学ぶこともままならない社会風土。
しかし、基礎っていうのはあると思うんです。
その基礎を学ぶということは悪いことではなく、基礎を学んだ上で、自分の価値観にあった方向に進むというのがベストだと思うのです。
それには時間も掛かるしお金も掛かる。
なんでもそうなんですが、知らなければ幸せに過ごせることは多々あるし、知ったことによって損を防げることもある。
何処まで貪欲に学べるか?そして、活用できるか?が鍵。
日本での画一的な金銭教育は性教育と並んで難しいと思いますよ。