先日ある人とお話しをしていると「如何にひと手間を加えられるか?」とおっしゃっていました。「ふむふむ」と言う感じでお話しを聞かせて貰っていたのですが、料理だって「ひと手間」を加えるだけで、味が変わって美味しくなる。
「おっ?違うねぇ~」なんて感じに受け取って貰えると「ひと手間」を加えるだけの苦労が報われるってわけ。
特にこういうブログなどでは、「文章の見直し」という「ひと手間」を惜しむかどうか?面倒だからとやるかやらないかで、だいぶ変わってくるモノです。
誤字・脱字を嫌ったり、前後の文脈が思っていたことをスムーズに伝えられるかということは、あとになって読み返す「ひと手間」がないと見つけられないわけ。自分の文章を読み返すなどという、こっ恥ずかしいことはなるべくしたくないモノですが、やるとやらないとでは天地の差になってしまいます。
この「ひと手間」を貯蓄に持ち込んだ場合どのような事が起きるか?
目的は「貯蓄をする」ということなのですから、「貯蓄に向かってのひと手間を惜しまない」行動となるのでしょう。
例えば、【収入-貯蓄=支出】と言う考え方。
一定額を収入から貯蓄に回し、残金で次の収入時まで賄うということ。これは「先に貯蓄に回すひと手間」が重要なのですが、この行動が非常に面倒。
面倒だから続かないのだけれども、面倒でなくなれば「ひと手間」ということで片付く話であって、貯蓄はできてしまう話。
また、「支出を管理する」事ができれば、思いのほか貯蓄はスムーズにできるわけですが、常に支出を管理しないとならないわけで非常に面倒。やはり、面倒だから長続きがしない。
こうやって考えて行くと「ひと手間」ができるのか?それともそのときの感情に流され「ひと手間」を面倒だと受け取ってしまうのかで、先々に大きな違いを生んでしまうわけです。
すると、「ひと手間」と「面倒」は対局に位置するモノだということがわかります。
「ひと手間」を加えられるか?ということは、何事に対しても重要なことになってくるのでしょう。
しかし、間違った「ひと手間」でこれまでの苦労を台無しにすることもありますので、最新の注意を払いながらの「ひと手間」を……